織田信長の血液型ミステリー|A型説とB型説の真相を徹底検証

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織田信長の血液型ミステリー

「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」の句に象徴される、苛烈で天才的な戦国大名・織田信長。彼の血液型が何型だったのか、気になったことはありませんか?

ネット記事やテレビ番組などでは「A型説」「B型説」の双方が語られており、さらには豊臣秀吉や徳川家康、伊達政宗といった他の有力武将たちの血液型との関係性についても多くの関心が寄せられています。

実は、織田信長の血液型については過去にいくつかの鑑定が行われたとメディア等で紹介されているものの、その根拠となる学術的な資料の信頼性をめぐっては、現在も歴史学者や専門家の間で疑問視されています。

そのため「〇型で確定」と言い切れる状況ではなく、彼の型破りな性格から特定の血液型をイメージする見方も根強く残っています。

この記事では、過去に行われたとされる鑑定の裏側と歴史研究の両面から、織田信長の血液型にまつわる情報の真実に迫ります。さらに、秀吉や家康ら「戦国三英傑」をはじめとする有名武将たちの血液型データの最新情報、現代の行動科学の視点まで、分かりやすく徹底解説します!

この記事で分かること
  • 信長の血液型(A型説・B型説)の真実
  • 信長の身長・身体データを推定した根拠
  • 政宗や家康ら有名戦国武将の血液型事情
  • 現代心理学から見た血液型と性格の真実
目次[ページ内リンク]

織田信長の血液型として「A型説」と「B型説」が紹介される理由

織田信長の血液型は A or B

織田信長の血液型を調べた試みは、過去にテレビ番組の企画や書籍などのメディアで何度か取り上げられてきました。

その結果として巷で語られているのが「A型説」と「B型説」です。それぞれの説が広く知られるようになった背景を見ていきましょう。

A型説として紹介される理由

現在、インターネットや雑誌などで最も広く紹介されているのはA型説です。

この説の土台となっているのは、信長の直筆とされる書状(血判状)や、信長の遺品と伝えられる毛髪、衣服などに付着した微量の血液・組織成分を対象にした分析が行われた、とするエピソードです。

これらの試料から「A型」の反応が検出されたという話がまことしやかに囁かれており、これが現代におけるA型説の最大の根拠として扱われることがあります。

しかし、これらは「A型とする説が広く知られている」という程度に留めておくのが安全です(詳しい理由は後述します)。

B型説として紹介される理由

一方で、歴史ファンの間で根強い人気を誇るのがB型説です。こちらは科学的な判定というよりも、信長が残した数々の独創的なエピソードや性格を、現代の血液型診断のイメージに重ね合わせた側面が強くなっています。

  • 桶狭間の戦いにおける、常識破りの奇襲・強襲作戦
  • 既存の宗教権力や既得権益を打ち破る「楽市・楽座」の断行
  • 南蛮文化や鉄砲などの新技術をいち早く取り入れる柔軟な先見性

こうした「独創的」「決断が早い」「固定観念に縛られない」という特徴がB型のイメージと合致することから、B型説として紹介されることが多くなりました。

⚠️ インターネット上の情報に関する注意点

ネット上の一部記事では「愛知県の総見寺などに伝わる血判状からB型の反応が検出された」と書かれていることがありますが、これも現代の歴史研究において確固たる根拠(一次資料)は確認されていません。あくまで噂や推測の域を出ない話として捉えるべきでしょう。

過去に行われたとされる鑑定の慎重な見方と信長の身体データ

黄金の織田信長公像は、岐阜市制120周年を記念して2009年に建立された金箔三層張りの銅像です。像の高さは約3m、台座を含めると約11mで、制作費は約3,000万円、市民や企業の寄付で建てられました。

科学的な分析が行われたという話があるにもかかわらず、なぜ信長の血液型は「確定」と言えないのでしょうか。

そこには、メディア情報のループという問題と、歴史資料の取り扱いの難しさがあります。

学術的な裏付け(査読付き論文)が存在しない

実は、「信長の遺品や血判状からA型(あるいはB型)の反応が出た」という報告は、現在確認できる公式な学術資料(査読付き論文や大学・研究機関による公式発表)では裏付けがありません。

過去のテレビ番組や雑誌、ネット記事などが、出所が曖昧な情報を何度も繰り返し引用し合った結果、あたかも事実であるかのように定着してしまった可能性が極めて高いのです。

番組名や詳細な鑑定年代すら明記されていないケースがほとんどであり、情報の取り扱いには慎重になる必要があります。

試料の真正性と経年劣化の問題

仮に過去に何らかの検査が行われていたとしても、戦国時代から現在まで450年以上の歳月が流れています。信長が本能寺の変で倒れた後、彼の遺品や書状は激しい戦乱や火災をくぐり抜けてきました。

そのため、分析に使われたとされる毛髪や血痕が、本当に織田信長本人のものであるかを完全に証明することは極めて困難です。

また、血液成分は長期間の乾燥や保存状態によって劣化し、検査時に誤った疑似反応を起こすことも珍しくありません。

信長の身長・体重データの出所はどこ?

信長の血液型とセットで「身長は166〜169cm、体重は約60kg」と具体的な数字で語られることがありますが、これも数字として断定するのは避けるべきです。研究者や用いる史料によって「166cm」「168cm」「170cm弱」など、その推定値には幅があります。

そのため、現代の歴史研究においては「160cm後半と推定されることが多い」と表現するのが最も安全です。

また、この身体データは血液分析から割り出されたものではありません。

以下のような複数の多様な資料を総合的に分析して後世の学者が算出したものです。

  1. 甲冑(具足): 信長が着用したと伝えられる鎧の胴回りや手足の長さの測定
  2. 文献史料(ルイス・フロイスの『日本史』): 「肌の色が白く、中肉中背で、髭が少ない」という具体的な見た目の記述
  3. 文献史料(『信長公記』): 身のこなしや馬に乗った際の記述
  4. 肖像画: 当時描かれたリアルな写実画からのプロポーション推測

このように、血液型のような曖昧な情報とは違い、身体データは歴史的な遺物や文献という複数の柱によって支えられた推測となっています。

豊臣秀吉・徳川家康・伊達政宗らの血液型調査の実態

織田信長だけでなく、他の戦国武将たちの血液型についても様々な噂や調査エピソードが存在します。

しかし、細かく見ていくと、世間で「確定」と思われている情報の中にも多くの曖昧さが隠されています。

豊臣秀吉|奥歯や遺髪の調査と「O型説」

天下人・豊臣秀吉の血液型は「O型」であったと広く紹介されることがあります。

その根拠として語られるのは、秀吉が生前に家臣の加藤嘉明へ形見として託したと伝えられる「奥歯(左上臼歯)」や「遺髪」の存在です。これらは長年、子孫によって大切に保管されてきたため保存状態が良く、過去の法医学的鑑定によってO型という結果が出されたとされています。

この調査では、歯の摩耗や虫歯の傾向なども確認されており、そこから派生して「晩年は甘いものを好んでいたのではないか」という推測がなされることもあります。

ただし、これも「虫歯傾向からの推測」であり、本人が甘党だったと断定できるものではありません。

徳川家康|学術的には「不明」が定説

「家康の血液型はA型で判明している」という記事をインターネット上で目にすることがあるかもしれません。久能山東照宮(静岡県)などに所蔵されている、家康が生前に使用していた衣服や毛髪などの遺品を分析した結果、A型が検出されたというエピソードが元になっています。

しかし、これは学術的に確立した研究成果ではありません。 多くの歴史研究や公式な見解において、「徳川家康の血液型は不明」とされています。

一部で遺品からA型が検出されたという説も紹介されてはいますが、学術的に広く合致した見解ではないため、「家康については科学的に確定した血液型はない」と捉えるのが正確です。

伊達政宗|遺骨調査から「B型と判定されています」

戦国武将の中で、最も科学的・学術的な裏付けを伴う調査が行われたのが「独眼竜」こと伊達政宗です。

昭和49年(1974年)、仙台市にある政宗の霊屋「瑞鳳殿(ずいほうでん)」の再建に伴い、本格的な学術調査が実施されました。

💡 1974年当時の技術に関する誤解

ネット上の記事ではよく「伊達政宗はDNA鑑定でB型と分かった」と書かれていますが、これは時代錯誤の誤りです。

1974年当時、まだDNA鑑定の技術は実用化されておらず、一般化するのは1990年代以降のことです。実際の瑞鳳殿調査で行われたのは、遺骨や毛髪を用いた人類学・骨学・当時の血液型検査(抗原抗体反応など)による法医学的調査です。

この極めて厳密な学術調査の結果、政宗の血液型は「B型と判定されています」。絶対的な断定とまではいかなくとも、武将の中では極めて信頼性の高いデータです。

また、この調査では「重度の歯周病を患っていたこと」や「身長は約159.4cmで、がっしりとした筋肉質の体格であったこと」など、リアルな身体データが医学的に示されています。

上杉謙信:「AB型」説の真偽

「軍神」と称された上杉謙信については、歴史的な血判状の鑑定から「AB型」であるという説がネット上でまことしやかに語られています。中には「東京医科歯科大学の研究で判明した」などと具体的な機関名が躍ることもあります。

しかし、これも元となった学術論文や公式な研究報告が確認できません。

そのため、もし紹介するのであれば「AB型と紹介されることがあります」という程度の噂話として扱うのが適切です。

現代科学・心理学から見る「血液型と性格」の真実

三英傑とホトトギス

歴史上の人物を「〇型っぽい」「さすが〇型大名だ」と分析するのは非常に楽しいものですが、ここで現代の行動科学や心理学の視点についても整理しておきましょう。

現在、人間科学や心理学の世界においては、「血液型の違いによって個人の性格や行動が決まる」という科学的根拠(因果関係)は完全に否定されています。

なぜ血液型占いは信じられてしまうのか?

現代でも血液型診断が根強い人気を集めるのは、心理学でいう「バーナム効果」や「確証バイアス」が関係しています。

  • バーナム効果: 誰にでも当てはまるような曖昧な性格の記述(例:「普段は冷静だが、いざという時は大胆になる」など)を、自分や特定の人物だけに特化したものだと勘違いしてしまう現象。
  • 確証バイアス: 「信長はB型だから型破りなんだ」と思い込むと、その思い込みに都合の良いエピソード(比叡山焼き討ちや奇襲など)ばかりが目に付き、逆にそれ以外のエピソードを無視あるいは軽視してしまう傾向。

実際、織田信長は派手で残酷なイメージが先行しがちですが、内実を紐解くと、領内の関所を撤廃して経済を安定させたり、家臣の働きや売買の記録を細かく帳簿に付けて管理したりと、極めて合理的かつ几帳面な一面も持っていました。

この几帳面さは現代のステレオタイプで言えば「A型らしい」とも言えます。

血液型という1つの不確かなフィルターだけで人間性を見るのではなく、多面的な視点からアプローチすることこそが、歴史をより深く楽しむコツと言えます。

まとめ|事実と推測を切り分けて歴史を楽しもう

今回の検証を踏まえた、織田信長の血液型に関する最終的な結論は以下の通りです。

  • 血液型の真実: 「A型説」や「B型説」として紹介されることがあるが、公式な論文などの学術的裏付けはなく、現時点で確定した血液型はない。
  • 身体データの真実: 身長は血液から推測されたものではなく、甲冑や『信長公記』、フロイスの記述、肖像画などの複数資料から「160cm後半」と推定されている。
  • 他の武将の実態: 伊達政宗は1974年の遺骨・毛髪を用いた人類学・法医学的調査により「B型と判定」されているが、徳川家康や上杉謙信などは学術的に「不明」である。

歴史研究は、時が経つにつれて新しい史料が発見されたり、最新の科学技術(高精度の解析など)が導入されたりすることで、それまでの常識がガラリと覆ることが多々ある、常に進化を続ける分野です。

「信長は何型だったのだろう?」と思いを馳せる際は、科学的なデータの有無という事実の側面と、彼の残した偉業から性格を推測するロマンの側面、その両方をバランスよく楽しんでみてはいかがでしょうか。

❓ よくある質問(FAQ)

織田信長の血液型は、教科書や学術書に記載されていますか?

いいえ、記載されていません。歴史の教科書や公式な学術書において、信長の血液型が記述されることは基本的にありません。過去にいくつかのメディアでA型やB型の反応が出たというエピソードが紹介されたことはあるものの、査読付き論文などの学術的な裏付けがないため、あくまで「俗説・都市伝説の一種」という扱いです。

血液型から性格を類推する手法は、歴史研究で使われますか?

歴史学の現場で、血液型をもとに武将の動機や性格を分析することはありません。現代の心理学において血液型と性格の因果関係が否定されていることに加え、歴史学では「本人が書いた日記や手紙(一次史料)」、周囲の人間が記録した文献や考古データをもとに人物像を組み立てるのが原則だからです。

戦国武将の中で、最も血液型の調査信頼性が高いのは誰ですか?

伊達政宗です。1974年に行われた瑞鳳殿(政宗の墓所)の学術調査において、本人の遺骨と毛髪が用いられ、人類学・骨学・法医学的調査によって「B型と判定」されています。当時はまだDNA鑑定の技術は存在しなかったためDNA鑑定ではありませんが、発掘された遺骨そのものを調査しているため、他の武将に比べて圧倒的に高い信頼性を持っています。

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